刑事裁判とは、検察官が処罰を要求した真実が、果たして証拠によって

証明されたかどうかを裁判所が判断する過程であります。

そのためには、できるだけ十分に証拠を集め時機に

応じて証拠調べをしなくてはなりません。

 その役割を検察官や被告人らが自ら負う建前を当事者主義といい、

この当事者主義は、裁判所が職権で証拠を集め職権で

証拠調べをする職権主義と対立します。

 刑事訴訟手続が当事者主義をとるか、職権主義をとるかは、歴史的な背景に

左右されるものであるが、現行法は、当事者主義を原則とし、

職権主義をわずかに補充的なものとして規定しています。

 ところで当事者主義は、実体的真実主義と矛盾するという批判があります。

しかし、技術的にみても、真相をだれよりもよく知っている

検察官および被告人が、自ら証拠を集めて、

自己に有利な証拠をぶっつけ合いつつ公平な裁判所にそれを判断させるところにこそ、

かえって真相の発見もできるでしょう。のみならず、公平に

裁判しなければならない裁判所自身が自ら証拠を

集め職権をもって証拠調べをすることは、

世の中の人々に裁判の公平さを疑わしめることになって弊害を生みます。

裁判に対する信頼のないところには刑事訴訟における正義はないです。

そのうえ、最後に、刑事訴訟における真実とは、無実の者を

決して処罰しないということにこそあるとすれば、

公平な裁判所が背後に退いて冷静に裁判の流れを監視し、裁判の主導権を

当事者にゆだねることが望ましいといわなければなりません。