「共犯責任」 の根拠に関し、今までの通説は、狭義の共犯すなわち、教唆犯及び

 従犯は、他人である正犯に従属するものとし、その正犯という主たる犯罪に

 加功するところに生ずる犯罪責任(加担犯)だとしているので、

 ここに「共犯の従属性」ということが、

 考えられてきたのです。


  しかし犯罪を考えるにあたり、主観的見解をもってする一派はこれに反対し、

 共犯ということもまた主観的に犯人の個々的な責任を基礎にして

 理解されなければなりません。

 他人の行為に従属して刑事責任が生ずるということは、

 共犯においても許すことはできません。


  したがって、教唆犯や従犯とても、それはあくまでも各行為者

 個人の独自的な犯罪行為責任として処罰されなければ

 ならないとしています。


  民事法方面では、共同責任ということはあり得ますが、今日の刑法は、

 各自の演じたところに対応して個人別に責任を問うのを

 原則としています。

 共犯の場合とても、この個人責任の原理を基調としているのであって、

 ただこれが共犯として取り扱われる所以は、要するに、他人の

 行為を利用して各個人の犯罪行為をしていると

 考えられるからだと説いています。