「共犯」とは何かということに関しては、学者の間に

 さまざまな議論があります。



 ですが、一般に共犯と呼ばれているのは広義のものであり、それは一定の犯罪、

 例えば、他人の住居に侵入して窃盗ないし強盗を使用とするような場合、

 これに二人以上の者が参加し協力してこれを行なうことをいうのです。

 そしてこの共同して一定の犯罪を犯した者を「共犯者」と称します。


  我が国の刑法は、かような「共犯の種類」として、三つの場合を規定しています。

 一つは「共同正犯」であり、それは二人以上の者が、互いに共同して

 一定の犯罪を実行する場合です。

 二つは「教唆犯」であり、これは責任能力のある他人に、何らかの罪を犯す

 意思(故意)を生ぜしめ、よってその者をして当該の犯罪を

 実行せしめる場合です。

 三つは責任能力を持っている他人が、ある犯罪行為を実行するに際し、

 これを幇助ほうじょした場合であり、これを「従犯」といいます。


  上記に反し、今までドイツ刑法学者のうち、一般に古い学徒によって考えられていた

 「狭義における共犯」というのは、他人が主人公になって、ある犯罪を実行するに

 際し、その他人の演ずる犯罪に参加する場合、すなわち、我が国の刑法に

 ついていえば、上述の教唆犯および従犯の場合だけを指し、

 共同正犯の場合は含まれないのです。

 つまり、狭義の共犯という考え方では、他人のする犯罪に、あるいは

 精神的な面から、これに参加し協力する場合だけを指すのです。


  以上、一般に言う「共犯とは何か」並びに我が国の警報に規定している

 「共犯の種類」について考えてみると、それにはさまざまな

 分け方が存します。

 すなわちここに指摘する「縦の共犯」ということもその一種であって、

 それは「横の共犯」ということに対立する観念であり、このような

 分類は、我が国においては、特に牧野英一博士によって

 提唱されてきたところです。


  すなわち牧野博士によれば、「縦の共犯」というのは、二人以上の者が

 相協力して、その結果、一定の犯罪が実行されたとみることの

 できる場合、その「協力関係」が因果関係的に眺めて、

 前後的な進行過程において見出される場合をいいます。


  その最も適している例は、前述の「教唆犯」の場合であって、例えば、

 まず甲さんが乙さんに対して、丙さんを殺害すべきことを唆し、

 その結果として、ここに乙さんは丙さんを殺害する故意を

 生じ、その故意に基づいて丙さんを殺害する結果を

 生じた場合です。


  牧野博士の言葉によれば、「縦の共犯とは、因果関係の延長に

 おいて数人が共同する場合である」とされています。


  これに反し、「横の共犯」というのは、数人間の協力関係が、

 社会観念的に眺めるならば、いわば同時併存的に

 存在する場合をいいます。

 その最適な例は、前述の「共同正犯」の場合であり、

 例えば、某日某所で、甲さん、乙さん共に丙さんを

 殺害する意思をもって甲さん、乙さんが相協力して、

 丙さんをその場で殺害したような場合です。


  牧野博士はこれをもって、「因果関係の幅員において数人が

 共同する場合である」とされています。


  この「横の正犯」は、「同時犯」と呼ばれる場合と外見上よく似ていますが、

 両者の本質的な相違は、前者の場合は、数人が共同関係、すなわち

 故意を同じくして協力するのに反し、後者の場合は、数人が

 共同の意思に出ることなく、単に時を同じくして

 犯行を演じる点にあります。


  故に、特に「横の共犯」の場合にあっては、たとえ甲さんの演じた行為が、

 丙さん殺害の結果に対し実際には原因を与えなかったとしても、
 
 卑しくも乙さんと共同して実行行為を演じた限り、ここに

 丙さん殺害の共同正犯の責任は

 免れないことになります。


  共犯の種類として、「縦の共犯」と、「横の共犯」を考えようとする

 実益は、まさにこのような点にあるのです。

 ただ注意すべきなのは「従犯」のような場合は、時により

 「横の共犯」のこともあり、また時には「縦の共犯」

 として演じられることがあるということです。