刑法上犯罪を犯し、そして刑罰を受けるのは 「人」 です。
私法上では 「人」 は、自然人のみに限りません。
会社などの組織化された各種団体も、 「法人」 として、
自然人とともに 「人」 として扱われます。
しかし、刑法上は、法人には犯罪能力が原則として否定されていて、
そこから行政犯 (法定犯) の場合を除き、一般の刑法犯では、
犯罪主体としての 「人」 は自然人のみです。
こうした犯罪主体としての 「人」 のほか、
人は犯罪の客体としても意味を持ちます。
ところで、人の生命・身体の安産を保護する人身侵害犯罪で、
犯罪客体としての人がいつから人となるのかを巡って
学説の対立があります。
一部露出説は、身体の一部が母体の外に出れば、その時から
「胎児」 ではなく 「人」 となるといいます。
つまり、母体とは別に殺傷の危険に
刑法は、この時を 「人」 の始期とみます。
これが通説・判例の立場です。
この学説からは、一部露出説の有無で
堕胎罪と殺人罪とが区別されます。
胎児を殺めたのと、人を殺めたのとでは堕胎罪と殺人罪との相違で、
刑に重大な差異がありますので、この点が問題となるのです。
但し、一部露出しても、既に息絶えていれば、
「人」 としては扱われません。
死体損壊罪の成立が問題となるのみです。
全部露出説は、胎児が母体から全部露出した時が、
「人」 の始期であるとします。
民法の分野ではこれが通説となっています。
民法上の 「人」 は、権利・義務の主体としての意味を持ちますので、
母体から完全に独立した時から、これを 「人」 としてこそ
合理性があるわけなのです。
これに対し、殺害、傷害など犯罪による侵害は、母体から身体の一部を
露出した時から、既に可能とされます。
刑法は、かかる侵害からその生命・身体を保護するため、一部露出の
時からこれを一個の 「人」 として扱うことにしました。
こういうわけで、刑法上は一部露出説が妥当なのです。
人の終期、つまり死亡の時期について、最近臓器移植手術との関係で
議論が活発に行なわれています。
かつては、心臓の終局的停止時とする見解が支配的でありましたが、
現在では、身体の全機能が停止した時か、または脳波が停止した
時か、という点で争われ、後者の脳死説が医学的根拠にも
すぐれて有力となっています。
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