行為の当時、行為者が適法行為をなし得たであろうと


 期待し得る可能性をいいます。

 
 責任の要件の一つです。

 あの場合、誰でもあのようにせざるを得なかったであろうというような

 状況でなされた違法行為については、その行為を刑法的に

 非難することはできません。

 誰でも彼と同じ状況に追い込まれたら、悪いことと知りつつも

 その行為を思いとどまり、進んで適法行為をとることが

 不可能であったと判断されるからです。


  行為者の責任が追及されるのは、一般には、普通人であれば誰しも

 適法行為をとることが期待できたにもかかわらず、その期待を

 裏切り、適法行為に出た場合に限られます。

 適法行為をとるべき「期待可能性」のない状況でなされた行為には

 責任はありません。

 つまり、期待可能性の有無が責任の有無を決定するという

 考え方が通説的地位を占めています。


  ドイツには以下のような判例があります。

 つじ馬車の馬が突然暴れだして、通行人に怪我をさせました。

 この馬に暴れぐせのあることは御者ぎょしゃは百も承知でした。

 御者は当然「業務上過失傷害罪」に問われる

 べきでありました。

 しかし、御者はそれまでに再三、雇主に対して

 馬を替えるよう申し出ていました。

 だが、雇主は、この申出を拒絶し、御者として雇主の命令に

 そむけば解雇されることは必定でした。

 裁判所はこの事件につき、御車には、その馬を使わないことを

 期待することはできないとして、無罪を言い渡しました。

 俗に「暴れ馬事件」といわれています。


  我が国の最高裁判所は、未だにこの考え方そのものを

 直接認める判断を示していません。