行為者が、予想している犯行の目的物または手段に関する限り、最初から

 犯罪の実行は不可能な場合を「不能犯」と称し、未遂と区別されます。



  例えば、砂糖水で、人を殺害しようとしたり、あるいはいわゆる「丑(うし)の
 
 刻参り」によって、人を呪い殺そうとするような場合、既に死亡している人を

 もう一度殺害しようとするような場合です。

 このような行為は、その手段とし、目的物としているものに関する限り、

 犯罪の実現は到底不可能でありますので、これは殺人の未遂犯とは

 区別して、当然に罪とはならないものと考えようとするところに、

 この観念を認める実益があります。


  主観主義刑法理論を採る学者は、いやしくもある故意をもって、何らかの

 行動に出た限り、これはすべて未遂罪であり、もしこれに反し、まったく

 実現不可能の手段目的によって犯行を意図したとしても、そこでは

 故意さえも成立しないとします。


  一般には、主観的に犯罪への意思があり、これに基づく行為があっても、

 それが客観的にみて到底不可能なものであるときは、これを

 不能犯として、当然無罪と考えるのです。