「教唆きょうさ犯」 は、犯人に対してある犯罪を犯すことの決意を生じさせ、その者に

 対してその犯罪を実行させることによって成立するのでありますが、それでは

 「ある犯罪の未遂行為を演じさせる他人に対して犯罪の決意を生じさせ、

 しかもその者に対してその未遂行為に終わらせたときは、このような

 一種の教唆行為の刑事責任はどうなるのか」 との一事です。


  言い換えれば、 「教唆者が正犯の未遂に終わるべきことを認識して
 
 その教唆をした場合に、その責任はどうか」 との問題です。

 いわゆる 「アジャン・プロボカトゥール (agent provocateur)」 の

 問題として学者の間で議論されています。

 通説は全然実行行為に出ないことを予想していた場合は、罪には

 あたらないとしますが、理論上、この点の解答には

 以下の三つのものがあります。


  第一説は、常に有罪とします。

 しかし、我が国の刑法上は教唆犯の成立には被教唆者が実行行為に

 出なければなりませんので、この説は採り得ません。

 
  第二説は、その教唆が、犯人の既遂行為に出ることを予見した

 場合に限り、犯罪となるものとします。

 しかし、これはここの問題としていることからは逸脱しています。

 
  第三説は、教唆者がその行為に未遂であることは予想していても、

 これを実行行為に導こうとして教唆した場合に限り、

 犯罪となるものとします。


  我が国の刑法における教唆犯の成立には相手方に一定の故意を生じさせ、

 さらに進んで実行行為への着手以上の行為に出たことを必要とするので

 ありますから、いわゆる 「教唆の未遂」 、すなわち被教唆者が実行の

 着手維持に入らないときは罪とはなりませんが、

 「未遂罪への教唆」 であった場合、すなわち教唆に基づいて

 被教唆者が未遂行為に出た限り、その限度における

 教唆罪は成立するのです。